公開日: 2022年9月14日
筆者: 松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授
今回は、「執行」に焦点を当ててみたいと思います。これまでのコーポレートガバナンスの議論は、「監督」を如何に強化するかということに重きが置かれ、執行の問題については殆ど触れてきませんでした。コーポレートガバナンス・コードにおいては「執行側がやるべきこと」については莫大な質量をもって語られている一方、執行という存在がコーポレートガバナンスの中でどう位置付けられるのか、については全くと言っていいほど触れられていません。しかし、実務において何か改革を行おうとすると直面するのはこの問題なのです。具体的には、「業務執行を行う取締役をどうするのか」ということです。
取締役は出世のゴール?
以前は、取締役と言えば「出世のゴール」でした。そう思ってこれまで頑張ってきた人も多いでしょう。それがある日突然、取締役とは「監督を担う立場」「社外が多数」などと言われて納得するでしょうか。ゴールポストが動いたようにも見えます。加えて、今後は取締役の過半数を社外役員が占めることが予想されるとなると、社内の人々にとっては取締役になれる可能性(=ポストの数)自体が激減します。もちろん、頂上を目指すような人たちであれば表面上は理解したことにしているでしょうが、正直言って「面白くない」のが本音ではないでしょうか。
「出世のゴールが取締役という考えが古い」と一喝されそうですが、人の心はそれほどすぐには変わらないので、実は結構大事な問題です。次世代マネジメントのモチベーションに大いに関わるからです。
企業の根幹をなす「事業の執行のトップをどう位置付けるか」という問題が未解決のままというのは、コーポレートガバナンスを進化させるうえでも弊害となります。「執行側は執行役員がやれば良い」という人がいますが、執行役員は法的な役員ではありません。コーポレートガバナンス・コードは「経営者」や「CEO」という言葉を使ってこの問題を回避していますが、それによって実務上の誤解や混乱は却って増しているように見えます。
「執行役」こそ経営の主役
本来であれば、執行を行う主役を「執行役」など法的な役員として定義し、「取締役」は監督で脇役、といった立て付けをきちんと作っておくべきだったのではないかと思われます。企業経営においては、執行こそが中心であって監督はあくまでも副次的なものであるはずです。しかし、その副次的なものの呼称として「取締役」という、多くの人々にとっては未だ出世の象徴である名前をあててしまい、一方で執行を行う中心的な機能に対して法律的に何の新しい呼称も与えていないことが持つ実質的な影響は、もっと考えられて良い点だと思われます。
日本において伝統的であった取締役の立て付けを、そもそもなぜ変えなければならなかったのでしょうか。誤解を恐れず言えば「監査役が”監督役“になり切れていなかったから」でしょう。執行機能(=取締役)に対する選解任権を持たないのは監督機能としては致命的な欠陥です。しかし、それを与えようとして取締役会での議決権を与えてしまったら、今度は自己監査になってしまいます。これを解決するには、単に監査役に「取締役の選解任権」だけを与えれば良かったのではないかとも思えます。監査役会設置会社の枠組の中でできることはまだあったように見えます。
監査等委員会設置会社の実効性
しかし、日本におけるコーポレートガバナンスの議論はその方向には向かわず、もう一つの形態である「監査等委員会設置会社」を生み出しました。ガバナンス改革と銘打ってこの形態に移行する企業も多くあります。ところで、この形態は本当にガバナンス改革に資するのでしょうか。相変わらず執行と監督は未分化なままです。何とも中途半端な設計をしたものですが、監査等委員会設置会社においても執行と監督の分離を明確化するよう見直しを行ってはどうかとも思います。少なくとも「執行役」という立て付けはもっと取り入れられても良いのではないでしょうか。
「執行」と「監督」を巡る、そして取締役という立て付けを巡る一連の問題は、指名委員会等設置会社に移行すれば一応解決できます。法的な役員としての「執行役」と「取締役」が明確に分かれているからです。執行役というネーミングは未だ知名度が低いとはいえ、明確に法的な役員かつ執行のトップとして采配を振るうことができる立場です。執行役員のように取締役(である上司)の顔色を覗う必要もありません。今となっては指名諮問委員会や報酬諮問委員会の設置はもはやデフォルトになっていますから、この形態に移行することで問題は解決することのようにも見えます。
米国より厳しい設計
しかし、事はそう簡単ではありません。この形態は米国の機関設計を模したものですが、米国よりも厳しい設定となっている点があります。設置義務のある指名委員会が取締役の選解任について「決定権」を持っている点です。米国における指名委員会の役割は、取締役会に取締役の選解任につき「推薦」することです。しかし、日本では指名委員会が取締役の選解任を決議することになります。これは結構重いですね。もともと、取締役の選解任はトップの権力の源泉でした。諮問だけでも目障りなのに、ましてや社外取締役が過半を占める指名委員会が我々の生殺与奪を握るなどとんでもないというのが企業の本音ではないでしょうか。
もちろん、こうした後ろ向きな企業ばかりではなく、委員会の長も社外取締役に委ねたり、実効ある討議を重ねたりしている先進企業も多くあります。しかし、そうした企業が増えてきても、なかなか指名委員会等設置会社の導入が進まないのは、「決定権」まで与えたことが影響してはいないでしょうか。
この背景には、導入当時には社外取締役自体が珍しかったことが背景にあるそうです。指名委員会が取締役会への推薦しかできなければ、取締役会は社内役員が主体なので気に入らない提案はすぐにひっくり返されてしまう、従って社外役員が過半を占める指名委員会に決定権を与えて潰されないようにしよう、ということであったとのこと。
しかし、今や社外取締役は当たり前の存在です。やがて過半数になる可能性を考えればそもそもこのような「工夫」は意味がありませんし、それが指名委員会等設置会社への移行を妨げているなら、まさに今見直さなければならない点なのではないでしょうか。近時のコーポレートガバナンスの議論は、「コード」というソフト・ローから始まっていますが、その精神を本来の意味で生かすためには、ハード・ローでの枠組作り、或いはその柔軟な見直しも必要なのではないかと思われます。実務では既に問題としての広がりを見せている「執行」の位置づけについて、コーポレートガバナンスの中心に据えて議論することが、今後の日本企業の発展のためにも必要なのではないかと思われます。
筆者略歴
松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授
金融機関、格付アナリスト、国内外戦略コンサルティングファームパートナーを経て現職。公的機関の経営委員、上場企業の社外取締役を務める。筑波大学院企業研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。近刊に「ESG 経営を強くするコーポレートガバナンスの実践」(日経BP社)、「経営改革の教室」(中央経済社)。