公開日: 2024年10月29日
筆者: 坂口和宏氏 富士通株式会社 財務経理本部 経理部 Group Controlling Division 部長
ワンポイント
筆者は過去IASBでスタッフとして基準設定に携わった経験がある。今回、IASB出向の経緯や現地で担当した論点、苦労したことを振り返りつつ、IFRSについて思うことをまとめてみた。
はじめに
筆者は、現在、富士通本社の財務経理部門にて富士通グループの財務会計をグローバルで統括する立場にあるが、対外的な活動として、企業会計基準委員会(ASBJ)の収益認識専門委員会とIFRS適用課題対応専門委員会の専門委員を務めるとともに、国際会計基準審議会(IASB)へ実務者目線でアドバイスを提供する会議体である世界作成者フォーラム(Global Preparers Forum、GPF)のメンバーを務めている。
過去の話で恐縮だが、筆者は2012年から2年間、ロンドンにあるIASBに出向してIFRSの設定に従事したことがあり、現在の筆者の公的な活動を支える基礎となっているのが、その時のスタッフとしての経験である。今回はいつもの会計テクニカルな話からは少し離れて、IASB出向の経緯や現地で担当した論点、苦労したことを振り返りつつ、IFRSについて思うことをまとめてみた。会計に携わる人にとって何かの参考になれば望外の喜びである。なお、何といっても10年以上前の経験談であり、IASBの状況は現在とは異なっていると思われるため、あくまでも当時の状況を踏まえた話としてご理解いただきたい。
出向の経緯
IASBのスタッフはプロパーの人材と外部からの出向者から構成されている。出向者の母体は様々だが、やはり監査法人からが最も多く、企業から派遣された人材はほとんどいなかった。当時、日本からは2年周期で数名をIASBに派遣しており、2010年頃、次に派遣する人材についてASBJから募集があった。筆者はその募集を見て興味を覚えたものの、当時は本社経理部門でグループへのIFRS適用に取り組んでおり、検討も佳境に入っていたため業務的には会社を離れづらい状況であった。しかし、これまで日本の財務諸表作成者がIASBに派遣されたことがないという事実を知って、俄然チャンレンジする気持ちが湧き起こり、当時の上司の理解もあり、応募することとした。
書類選考に始まり、論文の提出、日本語及び英語での面接を経て、無事合格となったが、問題はそこからであった。企業でIFRSの適用を推進しているとはいえ、公認会計士ではないため、会計全般の知識は心もとなく、まずはASBJできちんと会計の基礎を習得するということがIASB派遣の条件となった。ASBJではIFRSの根幹である概念フレームワークを中心に基礎から徹底的に勉強し、涙なしには語れない修行を重ね、1年後に無事IASBへ出向する運びとなった。
IASBで担当したこと
IASBではNational Standards Fellowとして主にIFRS解釈指針委員会の論点を担当した。当時は現在ほどIFRSがグローバルに展開されていなかったが、それでも既に多くの国や法域でIFRSが採用されており、IFRSを適用する上で出てくる課題や懸念が毎日のようにIASBへ寄せられていた。それらを吟味し、IFRSに沿ってどのような考え方をあてはめるべきかを専門家として考えるのが筆者の役目だった。
様々な論点についてIFRSの基準を読み込み、IASB内部はもちろん外部の識者からも意見を聞き、ペーパーに落とし、それを国際会議で発表するという日々であった。無我夢中で走った2年間であったが、巡り合わせにも恵まれ、IFRSの改訂に係る公開草案を2本と基準の改訂を1本、上梓することができた(下表の太字)。
[筆者がIASBで担当した主な論点]
基準 | トピック | アウトプット |
---|---|---|
IAS第16号「有形固定資産」 | 土地の使用権 | IFRS ICでは取り上げないというアジェンダ決定 |
IAS第41号「農業」/IFRS第13号「公正価値測定」 | 残余法による生物資産の評価 | IFRS第13号のPost Implementation Reviewで再検討 |
IAS第28号「関連会社及び共同支配企業に対する投資」 | 持分法におけるその他の純資産の変動 | 2012年11月22日に公開草案を公表 2013年12月のIASBボード会議において公開草案の提案内容で最終基準化することが暫定決定 |
IAS第19号「従業員給付」 | 従業員拠出を伴う退職後給付制度における純額の確定給付債務(DBO)の測定 | 2013年3月25日に公開草案を公表 2013年11月21日に基準の改訂を公表 |
IAS第28号/IFRS第3号「企業結合」 | 共通支配下における関連会社もしくはジョイントベンチャーに対する投資の獲得 | IFRS ICでは取り上げないというアジェンダ決定 |
IAS第39号「金融商品:認識及び測定」 | 強制転換権付き社債 | IFRS ICに諮らないことでsubmitterと合意 |
IAS第19号「従業員給付」 | 拠出又は想定拠出に対するリターンが保証されている従業員給付制度 | 2014年1月のIFRS ICでプロジェクトの中止を暫定決定 |
IASBで苦労したこと
IFRS解釈指針委員会の論点を担当していたこともあり、IASBで最も苦労したのは、多様なテーマとステークホルダーにどう付き合うかということであった。ビジネスの基礎となる商習慣は世界各国各地域で異なるため、実に様々な商流や取引形態や契約条件が存在する。IFRSに限らず会計基準の目的はビジネスの実態を的確に表現することであるため、まずは論点のベースとなっている商習慣をきちんと理解し、その上で基準の考え方を適用していく必要がある。決して表面的な文言のあてはめになってはならないのである。基準自体の勉強はもちろん、特定の基準の専門家、さらには特定の国や地域の専門家にも話を聞きつつ、丁寧にペーパーをまとめたため、ひとつひとつの論点で相当な時間を費やした。
また、網羅性を確保することも苦労した点である。対象となる論点に最も詳しいのはスタッフであり、IASBやIFRS ICはスタッフのインプットをもとに検討を行うため、スタッフの分析に漏れがあると検討の方向性がずれる恐れがある。目の前の論点とIFRSの要求事項から、たとえ間違った解釈だとしても、導き出される可能性のある選択肢をすべてテーブルに乗せ、その上でIFRSに従った適切な解釈となる選択肢を特定する必要がある。
IFRSについて思うこと
IFRSは原則主義であると認知されている。昨今は比較可能性をより担保するために以前ほどの原則主義ではなくなっているきらいもあるが、依然としてその精神は変わっていない。上述したように世界にはあらゆる商習慣があり、法令などビジネスを取り巻く環境も各国各地域で異なる。そのような状況下においては、何がその取引の実態であるかを突き詰めて考える必要があり、それは原則主義でこそ成り立つアプローチである。IASBでの経験を通じて、世界で採用されるグローバルスタンダードであるIFRSにとって、原則主義は必然であり存在意義であると考えるに至った。
また、ビジネスの多様性と会計処理のばらつきとを混同してはならないと信じている。会計処理のばらつきという言葉をよく耳にするが、それが本当に同一の取引に対して会計処理がばらついているのか、それとも同一のように見えて実は異なる取引について異なる会計処理が適用されているのか、きちんと見極める必要がある。言い換えれば、会計規則の目的は商取引の経済実態を表すことであり、決して基準を機械的にあてはめてはならないということであり、これもIASBで学んだことである。
筆者略歴
富士通入社後、海外の事業管理を経て、2002年に米国子会社へ駐在し現地の管理会計を担当。帰国後、本社にてグローバルでのIFRS適用プロジェクトに従事。2010年に企業会計基準委員会(ASBJ)へ出向。さらに2012年に英国の国際会計基準審議会(IASB)へ出向し、主にIFRS解釈指針委員会の案件を担当。現在、富士通本社の財務経理部門にて、富士通グループの財務会計をグローバルで統括。
ASBJ 収益認識専門委員会専門委員・IFRS適用課題対応専門委員会専門委員 世界作成者フォーラム(Global Preparers Forum、GPF)メンバー