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コーポレートガバナンスの新潮流 第23回 -経営トップの信任問題-

公開日: 2024年7月31日
筆者: 松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授

 今年の株主総会では、経営トップの信任に厳しい結果が突き付けられることが目に付きました。特に、企業価値向上を具現化できない経営陣に対する風当たりは強まるばかりです。株主総会の顛末も含め、少し振り返ってみたいと思います。

「ROE基準」の再開

 「ニューヨーカー」などの有名ブランドを擁するアパレル会社のダイドーリミテッドの経営陣は、他のアパレル会社がコロナ後に急回復を遂げる中でも業績低迷が続き、過去10年間ほとんど赤字で株価が10分の1になったことの経営責任を、投資ファンドであるストラテジックキャピタル(SC)に追及されました。今年の株主総会では、SC側が経営陣の刷新を求めて独自に6人の取締役選任の株主提案を出し、結局のところ会社側提案候補の5人に加え、SC側提案候補の3人も選任されました。いずれも賛成率は5割台と非常に低く、株主総会後には旧村上ファンド系の南青山不動産が同社株を5%超保有していたことも判明するなど、同社の混迷はまだまだ続きそうですが、ここまでの劇場型展開にはならずとも、経営トップの選任が低い賛成率に留まった企業は少なくありません。トヨタ自動車ではグループ含め認証不正問題などで揺れたこともあり、豊田章男会長の選任には議決権行使助言会社である米インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)、グラスルイスの両社とも反対推奨を行い、海外の一部年金基金も追随しました。最終的な賛成比率は71.93%と低い水準に留まっています。しかし、この程度であればまだ良い方かもしれません。株主総会の前日に社長交代を発表したシャープでは、呉柏勲副会長(前社長)の賛成率が61.4%、新社長ほかの取締役も6割台前半の賛成比率に留まりました。

 こうした流れはコーポレートガバナンスの実質化といった流れとともに強まってきていますが、今年は特に、先述のISSが「ROE基準」を再開したことも背景にあるようです。これは、過去5期平均のROEが5%未満の場合に経営トップ選任に反対するというもので、コロナ禍において一時停止していましたが、今年から再開されました。また、昨年から今年にかけて、とくに有名企業での不祥事が相次いだことも影響しているでしょう。今年の株主総会は、経営トップのお詫びから始まるところも目立ったように思われます。

「喫水線」はさらに上がる

 成長を実現できなかったり、企業価値に深刻な影響を与えたりするような組織の問題を起こしたトップに対してこうした厳しい要請が突き付けられるのは、おそらく今後も続く不可逆的な流れでしょう。経営トップといった執行側だけではなく、社外取締役などの監督側についても、あまりに長くその地位に居続けているような場合や独立性が疑われるような場合には賛成比率が明らかに低くなっていたりします。

 また、ISSの「ROE基準」は5%未満という数値を使っていますが、 こうした基準が徐々に切り上がってきていることも見逃せません。もともと、投資家のコンセンサスとしての資本コスト水準は7~8%程度と言われています。日本株の歴史的な運用成績などを考慮しても首肯できる水準です。一方、企業側では5~6%の資本コスト水準を設定することが多いようですが、実はそれでは逆ザヤになってしまっているのが実状です。機関投資家の議決権行使に関わる業績基準は既にROE8%を見据えて動いています。三菱UFJ信託銀行は27年4月から、3期連続でROE8%未満かつPBR1倍未満の場合、トップ再任に反対するとしています。当面はTOPIX500銘柄が対象ということですが、徐々に拡大が予定されています。

 考えてみれば当然のことですが、ROE8%に満たないというのは株主資本コストを上回るリターンを確保できていないということですし、PBR1倍未満というのは将来の成長が見通せず今すぐ清算したほうがまし、と言われるレベルです。こうした状態が続くような企業を主導する経営陣がいつまでも居座り続けていては、本来なら実現できる企業価値向上も遠のいてしまいます。投資家が水準を切り上げてくるのも当然と言えるでしょう。最近では更に、土地や有価証券の含み益を分母に加えた修正PBRなどを提示して、コア事業以外に株主の資金が使われることを問題視するような株主の行動も目立って増えています。

投資家側の理解も必要

 一方、少々気になることもあります。こうした議決権行使基準が整備され適用が厳格になるにつれて、単にその基準しか見ていないようなボックスティッキング的な判断も増えているからです。もちろん、経営者の保身のための「言い訳」を聞くべきということではないのですが、あまりに個別の企業毎の今後の戦略や将来展望に関心のない投資家が多いのはやや気になるところです。もともと日本にはパッシブ投資家が多いので致し方ないとはいえ、今年6月に経済産業省より公表された「持続的な企業価値向上に関する懇談会(座長としての中間報告)」(座長:伊藤邦雄一橋大学 CFO 教育研究センター長)においても、企業と投資家とのエンゲージメントにおける課題が指摘されています。「企業側からは、投資家は短期志向で企業に対する理解が足りないという意見が相変わらず存在し、(中略)企業からの情報発信が増える中で、真に必要な情報が投資家に届いていないケースや、企業の長期戦略を真に理解していない投資家もいることが考えられる」といった指摘も見られる中、経営者がどのような未来のありかたを目指して企業をリードしていこうとしているのか、投資家がどのような期待をもって企業の成長に資金を投じようとしているのか、お互いに的確に理解した上での企業行動、投資行動が望まれるところです。

 

筆者略歴

松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授

金融機関、格付アナリスト、国内外戦略コンサルティングファームパートナーを経て現職。公的機関の経営委員、上場企業の社外取締役を務める。筑波大学院企業研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。近刊に「サステナブル経営とコーポレートガバナンスの進化」(日経BP社)、「全社戦略ーグループ経営の理論と実践」(ダイヤモンド社)。