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コーポレートガバナンスの新潮流 第22回 -企業にとって「上場」とは-

公開日: 2024年4月30日
筆者: 松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授

 今年も株主総会シーズンが近づいてきました。今やアクティビストの株主提案も特に珍しくはなくなり、優良企業であっても成長シナリオが分かりにくければ批判を浴びるなど、標的となる企業のレベルも上がってきているようです。それゆえ、一方では上場を廃止しようという企業も近年増加しています。今回は企業にとっての「上場」について考えてみたいと思います。

企業価値向上要請の衝撃

 昨年来、東証などからの企業価値向上への強い要請は、企業に改めて「上場」の意味を考えさせました。コーポレートガバナンス・コードをいくら改訂しても素知らぬ顔だった企業が慌てて政策保有株式を売却したりPBRを気にしたりするのは現金なものですが、それだけ上場ステータスを失うのは、企業にとって衝撃だということでしょう。それにしても、なぜそれほど上場に拘るのでしょうか。確かにエクイティファイナンスという資金調達手段の確保は上場によって得られるメリットですが、実際には我が国の株式市場で「増資」という金融手段など取られることは殆どありません。

 よく言われるのは知名度の向上や信用力の強化です。今時の若者が上場ステータスに魅力を感じて就職先を選ぶとも思えませんが、上場しているからこそ知名度が向上し、良い人材が取れると信じる企業は未だ存在します。信用力の強化というのは、債権者的な視点からは確かに求められます。金融機関や取引先は、企業の信用力を上場ステータスによって測ることもあるからです。ただ、債権者からみた信用リスクの多寡は、本来は信用格付けなどで測れば済むことです。上場しているから倒産しないというわけでもありません。則ち、信用力強化というのも、本来は「債権者的な視点から何らかの基準を設けて測るべきもの」であるところを、「上場ステータスの有無」という、極めて株主的な要素に置き換えている議論であることが分かります。

株主「以外」の利害関係者との関係

 これには、旧来のメインバンクガバナンスの影響も大きいでしょう。銀行にとって、取引先企業が上場しているのは都合が良いことです。信用力や内部管理の程度の見極めを自ら行わずとも、上場基準をクリアしていることをもってある程度代替できますし、株価がつくことで担保価値も明らかになります。上場によって得る資金は格好の返済原資にもなります。勢い、取引先企業の経営目標として「上場」をお勧めすることにもなるでしょう。かくして、昭和の昔に「上場がゴール」「成功の証」という認識が強固になり、それが世間にも広まったことにより、企業自身はもちろん、企業を取り巻く株主以外の利害関係者の間でも「上場ステータスを手放すこと」に対する忌避がみられてきたのがこれまでの状況といえるかもしれません。

劣位に置かれてきた株主

 しかし、こうした状況は少々シニカルに言えば、「企業が上場に思い入れを強くするのは、株主を考えてのことではなく、株主『以外』の利害関係者との関係を重視しているから」とも言えます。上場を維持しようとするのは、自社の株を保有する株主とより良い関係を作りたいからでも株式価値の中長期的な向上を目指したいからでもなく、銀行や取引先、従業員やその候補、さらには地域社会などとの関係を円滑に運びたいから、ともみえます。もしかしたらこうした関係は“しがらみ”で成り立っているだけかもしれませんし、そうした中でとにかく自社のステータスを誇示する必要があるのかもしれません。あるいは、単に経営者が自身のポジションを高く見せるためかもしれません。日本の上場企業には、実際にはオーナー企業が極めて多いことも影響していそうです。 いずれにしても、従来の経営においては株主という存在は他の利害関係者に比べて相対的な劣位に置かれていました。以前、ある旧東証一部上場企業のトップが「(利害関係者の中でも)株主の存在はとても遠い」という言葉を漏らしていましたが、これは旧来の時代における経営者の偽らざる本音とも見えます。アクティビストへの企業の忌避感の強さも、この言葉を裏打ちしているといえましょう。企業の「上場(維持)」に対する思いの強さは、実は株主に対する思いの薄さとセットで生き永らえてきたとも見えます。

 

上場廃止へ舵を切る

 こうした状況に変化が見られ、昨今、上場廃止が増加してきたのは、株主『以外』の利害関係者との関係を重視した際の上場のメリットよりも、株主という存在を劣位に置いたまま上場していることのデメリットの大きさに漸く企業が気づき始めたということかもしれません。気づいた企業は二種類の行動パターンを取ります。ひとつは、エクィティガバナンスへ移行したという環境変化を十分に認識し、株主への対応を抜本的に考え直して本来的な企業価値向上に向け努力し始めるというパターンです。こうした企業の中でも先頭を走る一群は、数は少ないながらも確実に過去から脱皮し変化してきています。

 もうひとつは、株主に対峙しなければならないということをデメリットとして強く感じ、株式市場から退出しようとするパターンです。多くの場合、「より長期的な視野で経営をしたい」、「近視眼的な株主に煩わされたくない」といった理由を掲げて上場廃止を選択しますが、株主『以外』の利害関係者との関係だけを考えていれば良かった昔を懐かしんでいるように見えるだけの企業も時々見かけます。「もともと非上場の大企業は好調だ」という声もありますが、ポリシーをもって当初から非上場を貫いている企業と、上場ステータスのメリットにつられて上場し、デメリットが大きくなると逃げる企業とでは、もともとの覚悟が全く違います。もちろん、上場廃止をただ否定的に捉えるわけではありませんが、退出した企業の将来がどうなっていくのか、少々注目したいところです。

筆者略歴

松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授

金融機関、格付アナリスト、国内外戦略コンサルティングファームパートナーを経て現職。公的機関の経営委員、上場企業の社外取締役を務める。筑波大学院企業研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。近刊に「サステナブル経営とコーポレートガバナンスの進化」(日経BP社)、「全社戦略ーグループ経営の理論と実践」(ダイヤモンド社)。