公開日: 2024年1月31日
筆者: 松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授
昨年末から今年初めにかけて、議決権行使助言会社ISS及びグラスルイスの2024年版議決権行使助言方針の改定が公表されました。ご存じの方も多いと思いますが、やや私見も交えつつ改めて見てみたいと思います。
ROE基準の復活
まずISSですが、日本企業にとって影響の大きな改定は「ROE基準の復活」でしょう。新型コロナウイルス禍で運用を停止していましたが、今回復活しました。過去5期の平均ROEが5%を下回り、かつ直近年度のROEが5%未満の場合は原則、経営トップ(社長など)の取締役再任に反対推奨がなされます。ROEといえば2014年のいわゆる伊藤レポートの時点で8%以上が要請されており、5%というのは緩くも見えますが、未だプライム市場の約3割の企業はROE5%未満に甘んじています。日本企業の株式資本コストは一般に6~8%といわれているため、企業価値毀損記録を数年連続で更新中の企業群が、グローバルで戦うトップティアのための市場に未だ存在するということです。議決権行使助言会社に言われるまでもなく、機関投資家の多くが既に独自基準を設けていますが、今回の改定でROE向上への圧力はさらに強まるでしょう。この基準は、将来的には8%に向けてさらに改定される可能性もあります。企業としては、ROE向上、それも分母のE(Equity)を下げるという財務的、短期的なテクニカル手段ではなく、分子のR(Return)を上げる本質的な取組が急務でしょう。
買収防衛策ポリシーの厳格化
ISSにおけるもう一つの改定は、買収防衛策ポリシーの厳格化です。導入企業は長らく減少傾向ですが、近年の株主アクティビズムの活発化を背景に新たな防衛策を検討する動きも出てきています。防衛策がイコール悪であるわけではありません。ISSは取締役会の独立性の確保に注目しており、今回の改定は「独立性が不十分な取締役会が、とりわけ防衛策が特定の株主向けに設計されている場合に、防衛策を恣意的に自己保身目的で利用することを防ぐこと」が目的であると述べています。これを受けて、従来は「2名以上かつ1/3以上」の独立社外取締役が求められていましたが、改定後は「過半数」となります。
実際にはISS が買収防衛策関連の議案に賛成票を投じているケースはほぼありませんので、本改定による実質的な影響は考えにくいです。ただ、2021年のコーポレートガバナンス・コード改訂の際に「慫慂」された「過半数」という基準がこうした形で用いられるようになってきていることは認識しておく必要があるでしょう。
ジェンダー・ダイバーシティの厳格化
グラスルイスは四点を改定しています。第一にジェンダー・ダイバーシティの厳格化です。もともとグラスルイスは、プライム市場上場会社の取締役会に占める多様な性別の取締役を10%以上求めていますが、これに付随する例外条項、すなわちダイバーシティ促進に関する改善計画や取組等の開示を行う場合は反対推奨を行わないという条項が停止されます。従って、多様な性別の取締役(日本においては実質的には女性とのこと)が 10%に満たない場合、監査役会設置会社または監査等委員会設置会社では取締役会議長、指名委員会等設置会社では指名委員会の委員長の選任は反対推奨されます。2026 年 2 月以降は基準値が20%に引き上げられます。既に政府方針として女性役員比率の向上(2030年までに30%以上を目標)が謳われている以上、企業としては取組む以外に選択の余地は無いでしょう。ただ、本当に達成できるかどうかは未だ不透明です。
在任年数制限から気候変動まで
第二に、社外取締役・監査役の在任年数の制限が新設されました。監査役会設置会社で全ての社外監査役が、監査等委員会設置会社及び指名委員会等設置会社で全ての社外取締役が12年以上在任している場合、監査役会設置会社または監査等委員会設置会社では取締役会議長、指名委員会等設置会社では指名委員会の委員長の選任は反対推奨されます。
第三に、政策保有株式の保有について、例外的に反対推奨をしない場合の規定が厳しくなったことが挙げられます。政策保有株式(有価証券報告書で開示された「保有目的が純投資目的以外の目的である投資株式」の「貸借対照表計上額の合計額」)が、連結純資産の10%以上の場合は、原則として取締役会議長に反対投票を推奨するというのがもともとの方針ですが、これには例外があり、①明確な縮減目標値と期日を含む縮減計画が開示されている場合、②政策保有株式の保有比率が、対連結純資産の10%以上 20%未満のときには、当該企業の過去 5 年間の平均ROEが5%以上ある場合には反対推奨しないとされていました。今回、①については「5年以内に 20%以下に縮減することが明確に開示されている場合」と具体化され、②についてはROEの基準が8%に引き上げられました。
第四に、気候変動関連の開示に関する判断対象企業が拡大しました。気候変動関連の開示が無かったり、著しく開示が不十分と判断されたりする場合、責任があると思われる取締役の選任に反対推奨がなされます。従来は気候変動対応を求める投資家団体「Climate Action 100+(CA100+)」などに特定された企業のみを対象としていましたが、日経平均株価構成企業のうちSASB(サステナビリティ会計基準審議会)により温室効果ガス排出が財務上重要なリスクに相当すると判断された企業が対象となります。
議決権行使会社の判断には様々な批判が寄せられていますが、投資家が個別議決権行使をする際に無視できない情報であるのは事実です。企業側もこれらの助言方針を念頭に置いたうえで、さらに株主提案が増えると思われる今年の株主総会準備を考えざるを得ないでしょう。
筆者略歴
松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授
金融機関、格付アナリスト、国内外戦略コンサルティングファームパートナーを経て現職。公的機関の経営委員、上場企業の社外取締役を務める。筑波大学院企業研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。近刊に「サステナブル経営とコーポレートガバナンスの進化」(日経BP社)、「全社戦略ーグループ経営の理論と実践」(ダイヤモンド社)。