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コーポレートガバナンスの新潮流 第19回 -経営視点から見たS1、S2-

公開日: 2023年7月26日
筆者: 松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授

 会計分野のプロフェッショナルの方々にはすでに旧聞に属するかもしれませんが、2023年6月26日に、ISSB(国際サステナビリティ基準審議会)が「サステナビリティ関連財務情報の開示に関する全般的な要求事項(IFRS S1号、以下S1)」、「気候関連開示(IFRS S2号、以下S2)」を確定しました。今回は、これらの事項が日本企業に与える影響について考えてみましょう。

S1、S2の概要 

 紙面も限られていますので概要に留めますが、S1は、企業が短期、中期及び長期にわたって直面するサステナビリティ関連のリスク及び機会について、企業が投資家に伝えることを可能にするよう設計された、一連の開示要求を提供するものとされています。S2は、テーマ別の基準として緊急性が高いとされてきた気候変動に関する開示について具体的に定めており、S1とともに用いるように設計されています。また、どちらもTCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)の提言を十分に組み込んだとされており、実際にそのフレームワークを用いた構成となっています。

 これらの確定を受けて、我が国でも日本版の基準設定が行われることとなっています。既にSSBJ(サステナビリティ基準委員会)がS1、S2を踏まえた日本版のサステナビリティ情報開示基準(日本版S1基準、日本版S2基準)の策定を進めており、2024年度中に確定基準が公表され、その後開始する事業年度(3月決算企業の場合2026年3月期の有価証券報告書)から早期適用が可能となる予定とされています。法定開示書面への基準の適用は、各国当局の対応次第とされていますが、この日本版の基準で求められる開示が、将来的には金融商品取引法に基づく有価証券報告書に取り込まれていくことが想定されていると考えられます。従って、直近での影響はともかく、中長期的に見た場合、日本企業に対する影響は大きいと言えるでしょう。

経営の観点から見た影響

 具体的な影響についても様々な議論がありますが、ここでは経営の観点から幾つか挙げてみたいと思います。まず、全体的な要求水準は当然のことながら厳しくなってきています。サステナビリティ情報の開示は、関連する財務諸表と同じ報告主体を対象としますので、連結財務諸表を提出している企業は、連結子会社も含めた開示が必要ですが、この開示を関連する財務諸表の開示と同時に行う必要があります。適用初年度に財務諸表から遅れての開示が認められますが、現在でさえサステナビリティ関連のデータをグループ各社からも収集し、開示に値する情報として加工し、然るべき体裁を整えるためには莫大な時間と労力を必要としています。手作業や人海戦術に頼ることも多い分野です。サステナビリティ分野こそ、DX(デジタル・トランスフォーメーション)が必要であり、かつ推進の効果が期待される分野は無いでしょう。組織構造をどのように組み立てるかを含め、サステナビリティ関連分野への取組における仕組化、デジタル化が急務です。ちなみに、S2ではScope1,2,3の GHG 排出量について開示が求められています。初年度はScope3については開示する必要はないとされていますが、ゆくゆくは必要になる可能性の高い分野です。バリューチェーン全体を見据えた情報マネジメントは今後より重要になってくるでしょう。

コネクティビティを保つ 

 サステナビリティ関連情報の開示において「リスクと機会」を記述する、あるいは「ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標」といったTCFDの枠組みを重視する、ということはもはや常識と言っても良いかと思います、また、サステナビリティへの取組が単なる社会貢献ではなく、企業価値向上と結びついているべきことも自明です。しかし、日本企業の開示の実態を見ていると、こうした要素間の「コネクティビティ」に乏しいことに気付くことが多くあります。S1にはコネクティビティに関する説明があり、①サステナビリティ関連のリスクと機会の間、②ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標に関する開示の間、③サステナビリティ情報と財務情報の間、などの関連性が理解できるような方法で情報を開示することが求められています。一つ一つの要素はさして目新しくなくても、果たしてこれらの間をきちんとつないだ説明ができているでしょうか。日本における現状のサステナビリティ情報開示の義務化においては、戦略や指標と目標については重要性が高い場合における任意開示の要請に留まっています。前号でも触れたように、そうした要請の表面だけを見て、4つの要素を脈絡なく分断して取り扱ったりすることのないようにしたいものです。

  また、コネクティビティを担保しながら、個別要素を深堀していくことも必要です。「ガバナンス」においては、もちろん機関設計や委員会の立て付け、取締役のスキルなどを考えることも重要ですが、考えるべき重要なポイントはサステナビリティへの取組の中で「経営者はどのような役割を負っているのか」が明確であることではないでしょうか。それでこそ、「戦略」においてもしっかりと全社最適を踏まえた議論ができますし、「リスク管理」にあたっても企業全体のリスク管理プロセスに組み込んで考えることができます。トップの役割が明確ではなかったり、トップが表面上の関心しか示していなかったりする企業は、こうした実質的な取組がなかなか進まない傾向にあります。

 取組の見直しついでに、ぜひ再考いただきたいこともあります。そのひとつが「マテリアリティ」です。この言葉については企業から「分からない言葉」の筆頭によく挙げられ、実際に開示内容を見ても極めて表面的な語句の羅列に留まっていることが多い項目であるように見えます。しかし、これも別に新しいことではないのですが、「企業の見通しについて、これを省略、誤記、不明瞭化したときに、ステークホルダーの意思決定に影響を与えると合理的に予想される情報」がマテリアリティを持ちます。自社の開示が本当にそうなっているか是非見直して頂ければと思います。

筆者略歴

松田千恵子氏 東京都立大学大学院 経営学研究科 教授

金融機関、格付アナリスト、国内外戦略コンサルティングファームパートナーを経て現職。公的機関の経営委員、上場企業の社外取締役を務める。筑波大学院企業研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。近刊に「サステナブル経営とコーポレートガバナンスの進化」(日経BP社)、「全社戦略ーグループ経営の理論と実践」(ダイヤモンド社)。